- 生没年
- 1869年8月4日〜1951年11月21日
- 出身
- イングランド・ロンドン、ハイゲート
- 学歴
- ケンブリッジ大学クレア・カレッジ(法学)
- 前職
- 弁護士
- 設計会社
- Colt, Alison & Morrison Ltd.(1928年設立)
- 設計コース
- 6大陸で300超(単独設計は115)
- 著書
- 『Some Essays on Golf-Course Architecture』(1920年、C・H・アリソンと共著)
ハリー・コルト(Harry Colt、本名 Henry Shapland Colt)は、1869年8月4日にイングランド・ロンドンのハイゲートで生まれたゴルフ場設計者です。父を早くに亡くし、一家が移り住んだモルバーンでゴルフを覚えました。モンクトン・クーム校を経てケンブリッジ大学クレア・カレッジで法律を学び、在学中は大学ゴルフ部のキャプテンを務めています。卒業後は法曹資格を得て、数年間は法律事務所の共同経営者を務めています。競技者としても力があり、1897年には R&A のルール委員会の創設メンバーに名を連ね、1906年の全英アマチュア選手権では Royal Liverpool でベスト4に進んでいます。
設計の道に入る転機は1901年でした。この年、開場してまもない Sunningdale の初代セクレタリーに就任し、1913年までその職を務めます。在任中、ウィリー・パーク・ジュニアが設計した Old コースの数ホールに手を入れ、その出来が高く評価されたことから、設計の依頼が集まるようになりました。当時のイギリスでは、内陸のコースは海辺のリンクスに遠く及ばないと見られていましたが、コルトはヒースランドの土地にリンクスの考え方を持ち込み、地形に逆らわないルーティングと、戦略を問う位置に置いたバンカーで内陸コースの水準を引き上げます。コースは風景の一部であるべきで、風景に押しつけるものではない、というのが本人の考え方でした。プロゴルファーを経ずにコース設計を専業とした最初期の人物とされています。
代表作は数多く残っています。イギリス国内では Stoke Poges(1909年)、Swinley Forest(1911年)、St George’s Hill、1923年に自ら設計した Sunningdale の New コース、1920年代半ばの Wentworth の East と West、1923年の Muirfield の改造などが挙げられます。北アイルランドの Royal Portrush には1929年に招かれ、新しい選手権コースを設計しました。1933年に開場したこの Dunluce Links はコルトの最高傑作と呼ばれることが多く、1951年にはイギリス本土以外で初めて全英オープンを迎え、2019年と2025年にも同大会の舞台になっています。アメリカでは、ジョージ・クランプが手がけたニュージャージー州の Pine Valley Golf Club に設計協力しました。新設と改造を合わせると関わったコースは300を超え、単独設計は115とされています。
共同者にも恵まれました。1907年、リーズの Alwoodley で助言役として招かれた縁からアリスター・マッケンジーと結び付き、のちにチャールズ・アリソンを加えた3人で Colt, MacKenzie & Alison として活動します。1920年にはアリソンとの共著『Some Essays on Golf-Course Architecture』を出版し、バンカーの置き方や造成の考え方を書き残しました。1928年にはアリソン、ジョン・モリソンと Colt, Alison & Morrison Ltd. を設立しています。晩年は難聴が進んで仕事の範囲は狭まり、1951年11月21日に82歳で亡くなりました。
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