チャールズ・ヒュー・アリソン(Charles Hugh Alison)

生没年
1883年3月5日〜1952年10月20日
出身
イングランド・ランカシャー州プレストン
学歴
モルバーン・カレッジ、オックスフォード大学ニュー・カレッジ
設計会社
Colt, Alison & Morrison Ltd.(1928年設立)
著書
『Some Essays on Golf-Course Architecture』(1920年、ハリー・コルトと共著)
日本での代表作
広野ゴルフ倶楽部、川奈ホテル富士コース

チャールズ・ヒュー・アリソン(Charles Hugh Alison)は、1883年3月5日にイングランド・ランカシャー州プレストンで生まれたゴルフ場設計者です。モルバーン・カレッジからオックスフォード大学ニュー・カレッジに進み、大学対抗戦にゴルフの代表として出場しました。学位は取らずに大学を離れています。スポーツ万能で、1902年から1905年にかけてはサマセットの一員としてファーストクラスのクリケットにも出場しました。両大戦では暗号解読の任務に就いています。

設計者としての出発点は、ハリー・コルトの最初の助手を務めたことでした。Northamptonshire County(1909年)、St George’s Hill(1912年)、Camberley Heath(1913年)といったイギリスの仕事をコルトのもとで担当し、やがて対等な共同者になります。一時期は、コルトに助言を求めたことをきっかけに設計の道へ進んだアリスター・マッケンジーを加え、Colt, MacKenzie & Alison として活動しました。1920年にはコルトとの共著『Some Essays on Golf-Course Architecture』を出版しています。1928年、コルト、ジョン・モリソンとともに Colt, Alison & Morrison Ltd. を設立し、1929年には International Society of Golf Architects の創設メンバーにも名を連ねました。北米の仕事も多く、ニューヨーク州の Century Country Club(1927年)、ウィスコンシン州の Milwaukee Country Club(1929年)などが知られています。

日本のゴルフ史でアリソンの名が特別に扱われるのは、1930年から1931年にかけての来日があるからです。東京ゴルフ倶楽部の依頼で、高齢を理由に渡航を断ったコルトの代わりに海を渡り、1930年12月に浅間丸で来日、1931年2月下旬まで滞在しました。この3か月足らずのあいだに、東京ゴルフ倶楽部の朝霞コースと広野ゴルフ倶楽部を設計し、霞ヶ関カンツリー倶楽部や茨木カンツリー倶楽部、鳴尾ゴルフ倶楽部の改造案をまとめています。広野は1932年に開場しました。のちに川奈ホテルの富士コースにも助言を残し、1936年に開場しています。造成の現場は、同行したジョージ・ペングレースが引き継いで進めました。

アリソンが日本に残したもののうち、最もよく知られているのが「アリソンバンカー」という呼び名です。顎が高くえぐれた深いバンカーは当時の日本では見慣れないもので、その名が設計者の代名詞として定着しました。ただし、大きく起伏をつけたグリーンや、当時としては長く難度の高いレイアウトなど、バンカー以外の仕事も日本のコース設計の考え方を長く方向づけています。晩年の1947年には妻とともに南アフリカへ移り、Wingate Park(1947年)や Bryanston(1949年)を設計しました。1952年10月20日、ケープタウンで69歳で亡くなっています。

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