ウィリー・ダン・ジュニア(Willie Dunn Jr.)

ウィリー・ダン・ジュニア(1930年)
生没年
1864年ごろ〜1952年8月
出身
イングランド・ロンドン(ブラックヒース)
選手実績
全米オープン2位(1895年・第1回大会)

ウィリー・ダン・ジュニア(Willie Dunn Jr.)は、1864年ごろにイングランド・ロンドンのブラックヒースで生まれたプロゴルファーで、ゴルフ場設計者です。父はスコットランド・マッセルバラ出身のゴルファー、ウィリー・ダン・シニア、兄はゴルフ場設計者としても知られるトム・ダンです。13歳のころから兄のもとでクラブ作りを学び、1883年の全英オープンでは9位に入りました。1886年から1888年まではイングランドの Westward Ho! でプロを務め、その後はフランスのビアリッツでゴルフを教えています。

ビアリッツでアメリカの実業家ウィリアム・K・ヴァンダービルトと知り合ったことがきっかけとなり、1893年にアメリカへ渡りました。ロードアイランド州の Newport Golf Club でひと夏レッスンをしたあと、アメリカに移り住んでいます。1895年に Newport Golf Club で開かれた第1回全米オープンでは、優勝したホレス・ローリンズに2打差の2位でした。1897年の全米オープンでは3位タイ、1898年には7位に入っています。

設計者としての代表作は、ニューヨーク州ロングアイランドの Shinnecock Hills Golf Club です。1891年にウィリー・デービスが造った12ホールのコースを、ダンが18ホールに広げたとされています(クラブの公式サイトは、18ホールになった時期を1895年春としています)。Shinnecock Hills は1896年の第2回全米オープンの会場になりました。同じロングアイランドの Maidstone Club では1894年に最初の7ホールのコースを造り、1899年にはニュージャージー州の Cranford Golf Club(現在の Echo Lake Country Club)の9ホールを設計しました。ニューヨーク州の Ardsley Country Club でもコースを設計し、1896年からはここでクラブ製造の事業を始めています。20世紀に入ると、プラスチックに似た素材を使ったドライバーやパターの特許も取りました。1952年8月にロンドンのパトニーで亡くなりました。

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